Strawberry shortcakes (フィールコミックスGOLD)
傍からは仲良く見える友達や恋人とも心は通ってないし、
傍からは幸福そうに見えたり強そうに見えても心の中ではSOSを発していたり、
周りに人が溢れているのに、人と話しているのに、その距離はまったく狭まることなく隔たれていて、
なにかを待ってもただ時間だけが淡々と流れて、
それは幸福なことか不幸なことなのかよくわからないまんま、
けっきょく自分で立ち直って自分の足で踏ん張って、また明日が来て、っていう
なんか上手く言えないけどそういう切なさ。
誰にも言えなかったこと言わなかったことを静かに抉られて目の前に突き出されたような、そんな漫画。
ストロベリーショートケイクス [DVD]
男性として、かつ原作を読んでしない者として記入します。もし誤解があったらすみません。
この映画は美術とキャメラがすばらしい。ありそうでない日本風の障子や丸窓のあるマンション、手すりのさび付いたアパート、風俗店(の裏方が変にスタイリッシュ)とか、母親を見舞いに行く千尋のベスパが、画面に入っていくところとか、自転車で上る坂と通過する電車の処理とか、突然手持ちカメラになるところとか、思わず「うまい!」と言ってしまう位です。しかし他の人もう触れていますが、録音がいまいちです、大事な独白やsexシーンの微妙な声の変化(この映画でのsexシーンはすべて意味があります)とかが台無しです。
この映画では明滅する希望が最後にありますが、実はわざと(周到に明示を)避けているものがあると感じました。それは、外部環境に左右される自己の弱さであり(摂食障害なら吐くこといしかができないのか?絵描きならプロに徹せよとか、反対になあなあな勤め人と風俗店の女性達とか)、自分を成長させる必要性(求めるものがすべて外部にあるとの映画のストーリーの中での設定とかです)を十分認識するかとかです。
これらすべてを含んだ「仮想の」リアリティは十分説得力があります。
独創性が独りよがりでない貴重な作品です。
短編集
魚喃キリコの作品を読むには、少し力がいる。なにせ男である私が、すんなりとここに描かれている人物たちに同調できるわけでもなく、長い間本棚に収納されていた。魚喃キリコを読むきっかけは、自分の恋に対して見つめるときなのかもしれない。
短編集という作品集には、魚喃キリコの物語のエッセンスが見られる。
「痛々しいラブX」の主人公の心理は、「strawberry shortcakes」の秋代の心理だし、「鈴木さん」は、完全に「strawberry shortcakes」の主人公のひとりである。
おそらく魚喃キリコのその後の作品を成す短編は、様々な読みを私たちに与えてくれる。
「痛々しラヴX」で描かれている主題は、男と女に友情は生じるのか、という問題だし、「そして恋は始まっていく」は、恋の始まりに論理は必要ないのではという問題だし、「ある女のコのお誕生日」は、高野文子的だし、「日曜日にカゼをひく」は、多くの小説家が描いた三角関係の問題だと、なんでも読み解くことができる。これらは、おそらく深読みしすぎだし、純粋に恋に燃える女性たちの心理を読み解くのが本当の読み方だろう。
魚喃キリコの作品は、難しい。それに、読むまでに力がいる。ただし、1回読んでしまうと、ほとんどの作品に目を通したくなる。それは、高野文子の作品を読むようだ。
南瓜とマヨネーズ (フィールコミックスGOLD)
中絶経験がある、彼氏に内緒で水商売をする、昔好きだった人と会う………いけない事なんだけど、どれか一つは必ず自分にも当てはまるような、意外にもすごく日常的な事。その本人は特別派手なわけでもなくどちらかと言うと家庭的。そんな主人公の話。
「ただただ泣きなくなるような衝動」「せいちゃんの匂いがもったいなくて洗えない」「なんでリカちゃんがいいコだってわかんないの?」「口の下のそのブチのことは気付けなかった」など、なにげない言葉にふと涙する事が多い一冊です。
題名は、私なりの解釈ですが、例えば「ズッキーニとオリーブオイル」では親近感が沸きません。「南瓜やマヨネーズなど」のあまりに日常なことを意味したかったのではないかと思います。おすすめです。