J.S.バッハ小プレリュードと小フーガ 全音ピアノライブラリー
12、6小プレリュードは他の曲集に収められているものもあるので、見たことがある曲があるかもしれません。E-Durを除き、比較的簡単な調性が多く、運指やフーガ形式などかなりよい勉強になるのではないかと思います。難易度はインベンション前くらい、後半の小フーガは難易度が上がっています。解説文は直訳気味です。ビショフやプゾーニらの演奏上の指示が比較して書かれています。個人的には運指がウィーン原典版よりも合います。
バッハでインベンションの前に一冊じっくりと取り組むとしたら本書が良いように思います。
プレインベンション J.S.バッハインベンション-のまえに
うちの子供が練習に用いています。練習するにも耳にも良い曲が、ぎっしり集められています。こんないい練習曲集、昔なかったぞ! 子供についていくように、練習していますが、本当にきれいな曲がいっぱいです。小学校1年くらいからでも、曲を選べば、使えます。
ベスト・クラシック100
ヘンデルに始まりヘンデルに終わる、というだけで、この編集者がイギリス人であることが知れるようなものですが、シューマン、リスト、ブラームス、ワグナー、ブルックナー、ラヴェル、バルトーク、ストラヴィンスキーといった著名な作曲家の作品が1曲も含まれていないことからしても、単なる「有名曲の寄せ集め」ではないことがわかります。それは、ある一定の「気分」に沿って、まるでクラブ系DJの感覚のように、全体の流れや統一感を重視し慎重に選択された見事な選曲だと思います。
つまり、この企画者は、初心者向けとかカタログとかいうことではなく(結果的にそうなることがあったとしても)、基本的には現代の生活におけるクラシック音楽の「新しい楽しみ方」を提案しているということだと思われ、そのことに強く共感します。
したがって収録された楽曲は「クラシックを代表する名曲」というようなものとは明らかに違った基準で選択されていて、その9割以上がオーケストラ曲またはオーケストラ伴奏曲です。器楽曲、小編成の室内楽、ピアノ伴奏曲などはたまにアクセント的に置かれているだけで、たとえばピアノ独奏曲はベートーヴェンとドビュッシーの計2曲しか無く、ショパンもサティもありません。また、全体の3分の1が声楽曲ということも特徴的だと思います。
やや保守的/良識的な解釈の多いEMI音源というも、こうした企画には良かったのかもしれません。1960年代の録音も少なからず含まれますが、演奏と録音が一級品であることに間違いはありません。全体のちょうど4分の1、25曲が楽曲あるいは楽章の一部分を抜粋したトラックですが、それも決して安易なフェイドイン/フェイドアウトではなく、音楽的な見識の確かさを思わせる編集で、原曲を知らなければそれが抜粋であることすらわからないくらい、個人的には不自然さを感じませんでした。
いまだに教養主義的な感覚から聞き手の方で勝手に敷居を高くしているような所もあるクラシック音楽ですが、このコンピレーションの「軽やかな豊かさ」は、もっと自由な新しい楽しみ方を提案しているように思われます。BGMにも良し、カーオーディオで聞くも良し、iPodでシャッフルするも良し。良い時代になったものです。
ベスト・クラシック100 2
自身はクラシック初心者、というわけではありませんが手頃な値段でこれだけの楽曲が楽しめるということもあり購入いたしました。
低価格なので内容もそれなりと思いきや、演奏楽団がベルリン・フィル他有名なものばかりである上、指揮者陣も豪華なので聴きごたえはあります。
収録曲の殆どがポピュラーな曲なので、中には「ドラマのBGMとして流れていた」とか「CMで聴いたことがある」というものも沢山あります。
Disc1は特に親しみのある曲が多いので耳慣らしに
2は主に静かな楽曲なので癒されたいときに
3は恋愛に関する曲が多いので恋をしたいときに
4は様々な楽器が各曲のメインとなっているので楽器の面白さに触れたいときに
5は比較的暗い雰囲気の曲が多いので気分を落ち着かせたいときに
6は誰もが好む楽曲が多いので爽快な気分になりたいとき
6枚のディスクそれぞれに込められたテーマを感じつつ聴いてみると良いかもしれません。
あわただしい日々を送っている方、休息の一時にBGMとして選んでみてはいかがでしょうか。
バッハ:マタイ受難曲
現在の私としてはリヒターのバッハ演奏、とくにマタイ演奏に神格的評価を与えうることには躊躇する。
何故かと言えば、この録音からすでに五十年以上が過ぎ、その間クラシックの世界、バロック演奏の世界の歴史にはあまりにも多くの
事象が刻まれた。マタイ演奏も例に漏れず、私たちは実にたくさんの録音や実演に接してきた。アトランダムに挙げてもクレンペラー、
マウエルスベルガー、レオンハルト、カラヤンなどなど実に多彩なマタイ演奏を聴くことができた。リヒターのこの演奏はもちろんそれらと
比較して言葉の正しい意味においてユニークであり、強い感動にも誘われる。この演奏を聴いて音楽観、人生観、世界観などが大きく揺すぶら
れ、ひっくり返った人も少なくはあるまい。それほど強い訴求力をもった名演であることに異議はない。
しかしである。バッハの音楽というものを考えた場合、リヒターが捉えたものは確かに鋭く深いのだが、それだけでよいのだろうか?詳説する
スペースはないが、わたしが思うにバッハの音楽はもっと幅広く、柔軟で多様なものではなかろうか?リヒターの表現はバッハの持つ幅広さや
柔軟さを犠牲にして集中力の強い、鮮烈な音楽を獲得したように思える。そこには新古典主義あるいはノイエザハリヒカイト的な演奏様式の残
映がうかがわれる。それはオルガンのヘルムート・ヴァルヒャにも通じるところであり、ある時代の一流演奏家の英雄的形姿をの示すものでもあ
った。しかし時代は流れた。もっともリヒターのバッハ演奏を古くさいなどと言うことはできない。やや表現力の幅が狭い(固い)とは言え、こ
れほど説得力を持つマタイ演奏のできる指揮者はそういるものではない。いまの私にはあくまでこれを多様なバッハ解釈の優れた事例の一つとし
て味わうしかないようである。
宗教的な意味合いでも一言あるのだが、それはまた後日にしよう。