あの頃映画 松竹DVDコレクション 「われに撃つ用意あり READY TO SHOOT」
原田芳雄が逝去して3カ月近く。追悼プログラムとして、劇場で、CSでと、その代表作の数々が再映されている。
40年もの間、不良性感度と拘りの作品群で銀幕を疾走した俳優の凄みが、改めて実感させられるが、DVDソフトについても、その死後以降、今まで廃盤、非DVD化であった個性溢れる作品たちが、次々に再販、発売される流れになっている。
今作は、1990年度製作の松竹映画、監督の若松孝二にとっても珍しいハードボイルド・アクション。如何にも若松、原田らしい熱くストイシズムの薫り高い傑作。
嬉しい初DVD化ゆえ、以前、ヴィデオソフト欄に書き込んだレビューを以下再録する。
全共闘世代として、68年当時学生運動に身を投じ、“今”は歌舞伎町で呑み屋の店主をやっている男(原田芳雄)の、自己のオトシマエとアイデンティティを賭した闘い。
原作は、佐々木譲の「真夜中の遠い彼方」。彼が撃つべき対象は、もはや国家権力ではなく、新宿を牛耳る暴力団と香港マフィア。
彼らから逃げたベトナム人少女の窮地を救った事から、あの時代以降、彼の心の奥底に沈潜していた魂に炎が灯る。
多国籍入り乱れる不夜城の闇を切り取ったような血なまぐさい巨大都市新宿の魔界ぶり。麿赤児、佐野史郎、吉澤健らハマりすぎの配役、新宿署のマル暴デカ役の蟹江敬三も含め、この人たち、かって新宿でアングラ芝居をやっていたな。
呑み屋の閉店に、かっての活動家仲間たちが集まってくる。
嬉々として教え子たちにかっての武勇伝を語る予備校教師(小倉一郎)、バンコクでの買春を自慢げに語る広告代理店社員(斎藤洋介)、如才なく事業展開させている不動産屋(西岡徳馬)、ベトナム難民救済運動に力を注ぐ事であの時代への接点を持ち続けようとする都議会議員(山口美也子)、定職につかず新聞配達のアルバイトで生計を立てる巨人ファンの男(石橋蓮司)、そして、主人公のかっての同志で恋人だった編集者(桃井かおり)。
それぞれが、あの時代をどう総括し、どうオトシマエをつけたのか?
若気の至りとばかりに、社会人として成功する者、拘り続けて取り残される者、いかにも、と思えるそのコントラストの描写が見事だ。
原田芳雄と桃井かおり、新劇出身でありながら、70年代より映画の世界で、その不良性とアウトローな生き様を見せてくれたふたりが、若松の思い入れ過多のまま躍動する。
エンド・ロールで、10.21新宿騒乱のニュース・フィルムが延々と流れる。これは、名撮影監督だった宮島義勇による新左翼運動史を綴った膨大な記録映画「怒りをうたえ」からの引用。
大いなるアナクロニズムと嗤えば嗤え。あの時代を知らぬ者にもハードでソウルフルな作り手たちの思いがぐぐっと伝わってくる傑作である。
時代劇の作り方 プロデューサー能村庸一の場合
珠玉の作品をプロデュースした能村さんの喜怒哀楽の裏話が聞けて、とても楽しかったです。石橋蓮司さんとの対談も良い。フジの「雲霧仁左衛門」のラスト三話の打ち切りは、とても残念でした。それと著者の春日太一さんが、若い時代劇研究家というのが驚きでした。今後に期待したいです。
あらかじめ失われた恋人たちよ [DVD]
「あらかじめ失われた恋人たちよ」、この抒情的で詩的なタイトルは、今作で共同監督との触れ込みながら、主に脚本を担当した劇作家清水邦夫によるものである。当時新宿で断続的に芝居を打っていた清水は、若者から人気があった。そう言えば、当時の演劇仲間である蜷川幸雄や蟹江敬三も今作の端役として出演している。
71年にATG映画として製作された今作は、当時東京12チャンネル「ドキュメンタリー青春」のディレクターとして注目されていた田原総一朗の劇映画監督作として、そして桃井かおりの映画デビュー作として知られているし、TBSラジオ「パック・イン・ミュージック」のパーソナリティだった林美雄により、「八月の濡れた砂」「恋人たちは濡れた」「青春の蹉跌」ら同時代に世に出た70年代の日本の青春映画の傑作と肩を並べて紹介された事も記憶にある。
田原と清水は岩波映画出身。既にそれぞれテレビと舞台のフィールドで脚光を浴びていたふたりが、映画でしか出来ない事をやろうとした事とは何だったのか?
饒舌な放浪青年石橋蓮司が日本海を旅するうちに、加納典明と桃井かおりの聴覚障害を持つ○○のカップルに出逢い、三人で旅を続けるうちにいつしか共鳴し、言葉の空しさを知る、、、。
言葉に対する沈黙の優位性を物語るようなテーマだが、79年の初見時は、まるで71年当時の若者たちの心の閉塞感、喪失感と政治の季節が終わり観念的アジテーションの上滑り的空虚さを隠喩しているようにも思えた。
観念的な台詞が応酬されるような舞台と違いリアリティを求める映画と言う芸術媒体に、舞台人である清水は興味を持ち、同じく石橋は映画の空間に戸惑いながらの撮影だったらしいが、今見直したら、恐らく今作自体が、えらく観念的で時代を感じてしまうんじゃないかな。
高橋和巳や魯迅を引用しながら全編喋りっぱなしの石橋。絶えず饒舌で言葉によってコミュニケーションを図る事で自己の存在と社会との関わりを確認していくような感覚は、今日に於けるネット上でのツイッターやチャットを通じた媒介へと変遷しているが、製作から40年経た今日、若い世代がこの映画を観てどう感じるのか興味がある。
製作発表直前に今作への出演が決まった桃井かおり。当時、ロンドンからの帰国子女で異性とは手を握った事もないような良家のお嬢さんだっただけに、脚本を読んで凄く悩んだらしい。撮影時、こんなにめったやたらと裸にならねばいけない理由を田原に聞くと、周囲からやたら「実存だ!」などと訳の分からない事ばかり言われたと言う(笑)。
これは、信頼するレビュアーのアメリさんから、以前NHKBSでの桃井かおりインタビュー内で本人が語っていた事を教えて頂いた情報。いかにも今作の撮影風景を物語る逸話だと思うので、紹介させて頂きます。アメリさん、ありがとうございます。