サーフサイドハイスクール 1 (レアミクス コミックス)
『稲中卓球部』の人気が出たときに、色々な雑誌で稲中に影響されまくったマンガが連載開始された。
ハッキリ言ってヒドイ出来のものが多かった。
『稲中』はギャグの中に哲学的な問いが交じっていたと思う、それが現在の古谷実の作風につながっているのだと思うが。
その稲中フォロワーのマンガはほぼ全て、哲学的な問いから発せられる深みがなかった、だからつまらなかったと思う。
で本作『サーフサイドハイスクール』は数少ない、というか唯一『稲中』を凌駕しうる力を持ったマンガだった。
今そのマンガがまた入手しやすい状況になったことは、大変嬉しい。
今作は未完のまま終了していたと思う。
当時の読者だった私は、どんな形であれ話を完結させて欲しいと思いつつ、著者の『映画秘宝』の連載を読んできた。
なので今回の刊行が最終的には物語を完結させることにつながって欲しいと思っている。
個人的には知人に単行本を譲っていたので、十分購入に値するデキとなっている。
しかし既に刊行されているコミックス5巻を持っている方には、追加要素が少ないため少し手が出しにくいかもしれないと正直思う。
なので本作を未見の方、是非購入して読んでほしいと願います。
著者の洋画の知識と、物事にたいする斬新な視点から発せられる、哲学的な問いかけや下品になりすぎないギャグ群は十分に読む価値があります。
サーフサイドハイスクール 3 (レアミクス コミックス)
ついに3巻が発売されてました。
刊行予定日を過ぎていたので、「まさか、書き下ろしが書けなくてとかか・・・」と不安一杯でしたが、無事刊行されて本当に良かった。
今、知名度が高いとは言えないかもしれない本作が刊行される、それだけで十分価値があることですが、当時読んでた人にとっては一応のかもしれないけど、エンディングを迎えた、ということの価値は計り知れないと思います。
件の書下ろし話に差しかかった時、まず思ったのは「絵柄が変わってしまったか」と言うこと。
時間が経ったのだから当然だと思うし、その絵柄がいいとも悪いともいえないという印象の絵でした。
でも読み進める内に、最初に感じた違和感は解消されました。
テイストは相変わらずの味わい。
映画知識が豊富なスノッブな感じ、そこは全くといっていいほど損なわれていません。
話自体も肩肘はったものでなく、いい意味であのころの連載の続きのままという感じでした。
まだ未読の方は、連載当時の読者が憶えた10数年のモヤモヤを味わうことなく、切れ味鋭いギャグが楽しめるので幸せだと思います。
当時の読者には、今こそスッキリしていただけると思うので、是非読んで欲しいと思います。
ジョボビッチもロドリゲスも女優の名前
「映画評論」というほど大仰ではない。少年時代から浴びるように映画を見つづけてきたという著者の、TV桟敷目線での感想文集。漫画のネームづくりで培われたのか天性のものか、平易な言葉でテンポよく面白く読ませる腕はかなりのもの。しかし、その読みやすい文章で綴られる内容は、著者の漫画に似て一筋縄ではいかない着眼とクセモノな考察ばかりだ。
中でも、すでに語り尽くされている感のある「キャリー」を、プロムという慣習をキーに一見健全で幸福そうに見えるアメリカの若者たちの「青春残酷物語」として読み解いた一章は白眉。ミッキー・ロークやシャロン・ストーンの内面に思いを馳せた一文は、そりゃ穿ちすぎでは?とツッコみながらも妙に説得されてしまうし、キャサリン・ゼタ=ジョーンズの〈独白〉には大笑い。「ゴールド・パピヨン」の章では「タウニー・キテインって、RATTのビデオ・クリップに出たあと、WHITESNAKEのデビカバのガールフレンドに‘出世’してたよなあ」などというどーでもいいジャンクな記憶まで蘇ってしまって懐かしいやら情けないやら。
FBBを楽しんで読める30代後半~40代の映画好きには、間違いなくおすすめの一冊。
サーフサイドハイスクール 2 (レアミクス コミックス)
十数年前のギャグマンガだが、まだ十分現役な作品となっている。
流石に新鮮さは無くなっている、ただそれは古くなったというより他の以降のマンガに模倣されたりしているという原因もあると思う。
つまり他に模倣される対象足りうる力を、このマンガが有しているということが言えると思う。
特に映画からの引用や、顔の造形の推察からの笑いは孤高の位置を保っていると思う。
次巻の3巻でこの新装完全版も終結とのこと。
次巻に収録される予定らしい、「新作描き下ろし」で旧単行本全5巻で止まってしまった先に話を進めて欲しい、と切に願っています。