亡国のイージス 下(講談社文庫)
この作品を読む前に、全然別ジャンルの「世界の中心で・・・」を読みました。
これに失望しただけに、次に読んだこのイージスはとても感動しました。
今、巷では感動の押し売りの様な、中身のない恋愛小説が流行っていますが、
そんなもの比べるのも馬鹿くさい程の感動がこの本にはあります。
恋愛物は当事者でない限り所詮他人事ですが、この作品に描かれていることは
日本人なら誰しもが考えなくてはいけない問題を投げかけています。
同じフィクション小説なら、他人の恋愛について考えるより
自分の国について考えましょう。
ダ・ヴィンチ・コード(下) (角川文庫)
史実、事実に基づく謎解きは興味深かったが、
ストーリーはご都合主義の荒唐無稽。
犯人探しも推理小説のルール違反。
まだ読んでいない人は以下は読まない事。
読んでいる内に、犯人はそれとなくわかる。が、殺される人(レミだったかな)の心理描写の中で、その真犯人以外の人物であろうと思わせる描写があり、読者は当然その人物を除外してしまう。
最後は尻切れトンボ。え〜これで終わりかい?ってな感じ。
“It”(それ)と呼ばれた子 幼年期 (ヴィレッジブックス)
一日で一気に読んだ本がタイトルの本である。
すでにベストセラーとなり、センセーショナルな実際にあったことに基づいた話だけに、ストーリーの内容は具体的かつ時には読み進めるのもつらいものがあった。しかし、何よりもこの本の衝撃的なところは、幼児虐待を受けたその本人が書いたことだろうか。
「幼年期」編を読んだだけだが、これから「少年期」「青年期」と成長していくにつれて、どのように主人公のこころが動いていくのか、そして何がきっかけになって、その試練と思えるような出来事を克服していけるのかは、ぜひとも知りたいところである。
誰でも、本に書いてあるような体験をすると、果たして生きていこうとする希望をそれでももち続けることができるのだろうか。主人公はそれでも敢えて生きていくことを、幼い心の中に誓った。なぜこのような体験をしなければならないのか、時にはそれが、まるで自分の責任であるかのように自分を責めることもあった。
「心の底では、誰よりも何よりも自分のことをいちばん憎んでいた。この身に降りかかることも、まわりで起こることも、何もかも自分のせいなのだと思うようになった」「父さんが母さんが幸せになることを神様がお望みなら、ぼくは死ななくちゃならない、と。それでもいい、と思った」
話は次の「少年期」へと続いていく。
Deep River
「暗闇の奥の深淵をのぞくと、同じように深淵の向こうからもこちらを見つめている,それは私自身に他ならない。」
これは有名な哲学者の言葉だったと思いますが、作品中の彼女の歌詞にも韻を多く踏んだ哲学的なことばが多くあります。私も彼女と同じ10代だった頃、このアルバムを聴いてその精神性の高さに驚いたのを覚えています。写真家の紀里谷氏が撮った写真も秀逸で、一面モノクロームで切り取られた彼女の身体の一部も、静かな彼女の生命力を感じさせるように仕上がっています。
彼女の母親が昔、歌詞の中で歌っていたように彼女には暗い歌が似合ってしまう。恋愛も同じで、相手とのDistanceを感じるからこそ、創造性が増すのであり、満たされないような渇望感が逆に創作の原動力となるのではないだろうか。