ベスト・オブ・マイ・ラスト・ソング (文春文庫)
素敵な文章が綴られている本は何回も繰り返し読みたくなります。ましてその方が突然鬼籍に入られてそれ以上紡ぐことが適わなくなったわけですから尚更です。
本書は、希代の名演出家で、エッセイスト・小説家の久世光彦さんの思い出と共に昭和の流行歌の魅力が滲みでてくるような『マイ・ラスト・ソング』シリーズの珠玉の文章から52編が選ばれた『ベスト・オブ・マイ・ラスト・ソング』です。
巻末に『マイ・ラスト・ソング』の123編の全リストを紹介してありますし、それらを掲載した本のほとんどが絶版になっていることを考えると普通に入手できる本書の価値は図り知れません。
この世を去る「今際の際」に何を聴くのか、というテーマで連載が始まり、結局亡くなるまで14年間ずっと執筆されたということ自体が凄いと思いました。1編1編が見事な昭和歌謡史になっていますし、昭和という時代をとらえるのにこれほど分かりやすいエッセイもないのではと思います。ロマンチストの久世氏の自伝のような趣もあり、激動の時代を生きた一人の知識人の生き様を感じる作品群ですから。世相史や社会史の観点から見ても興味深い内容が詰まっていました。
久世さんの心の中に潜んでいたその思いのたけを綴った文章が並んでいます。昭和40年代の話題になったかと思うとまた戦後すぐの混乱期の話に戻るわけで、激動と言われた戦前・戦中・戦後を経た昭和という時代への久世さんのとらわれが凄みとなって伝わってくることでしょう。読んでいて涙がにじんできます。久世さんの筆力とそこに込められた強い気持ちが心の琴線を揺さぶるわけで、たじろぎながらも次の文を読みたくなるような魔力の虜になってしまうわけです。
戦後の歌は勿論、戦前の歌も多く登場します。詩に込められた深い思いを浮き彫りにし、それが愛されてきた世相を紹介しながら、これらの歌を愛してきた人々の思いを代弁するかのように語っています。時にはしんみりと、時には激しく心の中を読者に披露しながら、ある時は泣いているかのような文章が綴られています。激動の時代に翻弄された世代ですから、音楽に対する価値観も変化したと思います。それでも「海ゆかば」に代表されるように戦争のさなかに流された名曲への深い思いは胸を打ちます。一定以上の世代にとって聴くのがつらい曲であるのは確かだとしても。
384ページから綴られている「昭和枯れすすき」を久世さんの「時間ですよ・昭和元年」に取り入れた話は、他でも繰り返し語られていますが、実に興味深いエピソードです。全く売れない艶歌歌手の「さくらと一郎」の歌が、番組の挿入歌として繰り返し流れたことを切っ掛けに百数十万枚の大ヒットになったわけで、どこに運が転がっているか分からないものです。レコードジャケットを描いたのは当時まだ無名だった橋本治さんで、これもブレイクする後押しを久世さんがされたことになります。まさしく名プロデューサーたるエピソードですが、それを自慢するのではなく、鋭い演出家の感性が世を捉えた思い出話となっていました。
後に熱狂的に支持されたオンシアター自由劇場「上海バンスキング」での「ウェルカム上海」にまつわる思い出や、そのような魅力的なお話が満載ですから、多くの人から愛されるのだと思っています。
各項目のタイトルを見るだけで本書の素晴らしさが伝わってくると思われますので、列挙させてもらいます。まさしく昭和歌謡史です。「みんな夢の中 (作詞・作曲:浜口庫之助)」、「海ゆかば(作詞:大伴家持 作曲:信時潔)」、「月の砂漠 (作詞:加藤まさを 作曲:佐々木すぐる)」、「プカプカ(作詞・作曲:象狂象)」、「爪(作詞・作曲:平岡精二)」のどれを取っても昭和を生きてきた人々にとって思い出に残る歌ばかりですが、久世氏の語りは一味も二味も違います。
その他本書で取り上げられた曲(一部です)は、アラビヤの唄、港が見える丘、時の過ぎゆくままに、幌馬車の唄、さくらの唄、影を慕いて、哀しき子守唄、落日、ハイケンスのセレナーデ、父母の声、愛国の花、おもいでのアルバム、何日君再来、林檎の木の下で、君をのせて、妹、サトウハチロー、黒の舟唄、カスバの女、思い出さないで、“虚の花”の季節、東京ドドンパ娘、我が良き友よ、などでした。
なお、冒頭には久世さんの友人の小林亜星さん、ドラマに出演した小泉今日子さん、奥様の久世朋子さんによって在りし日の思い出を綴られると共にそれぞれによる「私たちの選んだマイ・ラスト・ソング」が掲載してありました。この座談会もまた久世さんの人柄が偲ばれる好企画だったと評価しています。
久世氏は2006年3月まさしく急逝されたため、果たしてラスト・ソングが用意されたかどうかは分かりませんが、ここに収録された全ての曲が思い出のラスト・ソング候補となっているわけですから、それらに囲まれて幸せな旅立ちをされたことでしょう。
向田邦子X久世光彦スペシャルドラマ傑作選(昭和57年~昭和62年)BOX [DVD]
向田&久世の強力な顔合わせ、そして向田さんの男女の世界観を表現するのにピッタリの女優・田中裕子さんに出会う初期作品(6作品の内の2作品)が納められている。昭和初期の正月風景そして小林亜星さんの音楽と黒柳徹子さんのナレーションがドラマの骨格をさらにしっかりと固めている。
田中裕子さんの美しさが際立ってました。
向田邦子×久世光彦スペシャルドラマ傑作選(平成9年~平成13年)BOX [DVD]
久世光彦さんの訃報を伝えるニュースの中で、「向田ドラマシリーズ」のDVDが発売されていることを知りました。
久世さんの「向田ドラマ」には戦前の日本にあって、戦後の日本が喪ってしまったものが描かれていると思います。
それは、心の気高さ・細やかさ。そして、自分が今いる場所を大切にする気持ち・・・。
戦争の足音が近づいてくる中で、一日一日を大切に生きていたあの時代の空気に対する久世さんの愛惜の想いが伝わってくるようです。
まずBOXセットを一つということで、このセットを選びました。
まだあどけなさの残る田畑智子さん、「終わりのない童話」の小泉今日子さん、「あ・うん」の池脇千鶴さん、最終作「風立ちぬ」の宮沢りえさんなど、キャストが多彩です。そして大好きな舞台俳優の串田和美さんが2つの作品に出演されていることも私にとっては大きな魅力です。
久世さんの作品には人肌のあたたかさを感じます。
たくさんの作品を残していただき、ありがとうございました。
桃 (中公文庫)
果汁をじゅるじゅるしたたらせる程に濃密に熟れた桃の
薫りが、いずれの短編からも読んでて漂って来る。
この作品を読んで、「桃」という果物、「桃」という漢字自体に
色気を感じてしまうようになった。
向田邦子との二十年 (ちくま文庫)
没後何年たってもフォロワーもファンも減らない向田さんの
素の姿を横で見ていた、久世さんによるエッセイ。
向田さんのたたずまい、生きかたが
あまりにも素敵で、格好よくて可愛くて切なくて
女性だけど、抱きしめてあげたくなります。
完璧にみえる憧れの向田さんの、違う姿を
垣間見れて楽しく拝読しました。
自身も作家である久世さんの文章も美しい素敵な本です。