ビルマの竪琴 (新潮文庫)
南方戦地で、行方不明になった主人公の水島と歩んだ隊の仲間は、至るところで歌を歌い、隊を鼓舞し、また日本への郷愁に駆られる。本の後半部分は、水島から隊の仲間たちへ宛てた手紙(独白)によって占められる。水島の心の動きを克明に綴ったこの手紙は戦争の持つ悲惨さを教えるだけに留まるものでは決してない。人間はどうして生きるのか、どうして死ぬのか。生きる目的というものを考えさせてくれる。中でも特に小中学生に是非読んで欲しいと思います。
ビルマの竪琴 [DVD]
戦争と音楽で、人の魂を描いた作品です。
戦争の無味乾燥な破壊と、音楽のもつ共感の力とのコントラストは、
人が様々な側面を持っている事の象徴なのだと感じました。
そこで描かれるのは、善悪の二元論を超越した魂の本来の姿です。
合理化された現代人の心に衝撃を与える名作だと思います。
ビルマの竪琴 [DVD]
こんな人・こんな時におすすめ:世代を超えて、全ての日本人に永遠に語り継ぎたい映画!
私のような戦後何十年もたって
生まれた世代が見ても胸に響く、感動の傑作です。日本はアクションやCGに
頼らずとも、脚本だけでこんなに素晴らしい映画を作ることができる!という
見本のような映画。ストーリーは誰にでも分かりやすく、お涙頂戴系の演出をせずとも、自然に涙がこみあげてきます。日本の懐かしい童謡のメロディー、水島の奏でる琴の音の美しさと、兵士達の素朴な歌声のハーモニーは秀逸。
兵士達の水島を心配する思い、水島の純粋な決心、言葉を覚えるオウムという小道具、どこをとっても素晴らしい、日本映画の最高峰に位置付けられる映画だと思います。
昭和の精神史 (中公クラシックス)
「ビルマの竪琴」で「戦後日本の反戦平和主義者」と一部で誤解されていた竹山道雄が、1968年「エンタープライズ佐世保寄港」に賛成意見を述べ、朝日新聞の「声」欄で猛烈なバッシングを受けたとき、私は初めて竹山道雄という人物に関心を持った。新聞紙面のおどろおどろしい見出しは、戦前の戦意高揚記事にも似て、読者をパニック状態に招くようなものだった。しかし、竹山道雄は、発言を変えることはなかった。非難されても降参しない、この静かな強さはどこから生まれてくるのか、子供心に不思議でならなかった。
「昭和の精神史」は、小さな文庫本になっていた。そのページを開くと、例えばノーマンが「日本に於ける近代国家の成立」で陳述した、「明治維新がフランス革命と異なり封建体制の支配者によって行われた不十分な革命であり、それが昭和の超国家主義になった」というような説がいかに間違った説に過ぎないか、静かに、しかしポレミックに語られている。そして、戦後の混乱の中で流出した様々な戦争に至るまでの経過に関する説が、陰謀説や自己弁護、責任転嫁とない交ぜになったものであり、一つ一つ慎重な検証が必要であることを説く。中でも白眉は、東京裁判にオランダから参加した「ローリング(レーリング)判事」との交流であろう。
この本が書かれた昭和30年当時と現在では、後に公開された資料、証言も数多く、認識を新にする部分もあると思われる。しかし、絶えず、論争相手を意識して書かれたこの書物は、ここに必ずしも書かれていない当時の様々な主張まで反映しており、まさしく「昭和10年〜30年前後の幅広い時期を包含する一つの精神史」になり得ているのである。
昭和の精神史 (講談社学術文庫 (696))
「あれ」について、史実をフォローしたのが「昭和の精神史」だとすれば、
銃後の国民にありがちだった心理を再現してみせたのが「手帖」だと言えるでしょう。
生活の現実を見ず、観念の高みから大人を断じる青年の感激。
より小さな悪に踏みとどまる代償羊と、そうした責任を引受けなかったがゆえの清い手で攻撃する者。
正しくあろうとし、義を重んじようとした、国民性がいかなる事態を許容したか。
そのメンタリティは、現代の社会でも随所に見られるはずです。