フィンランド名曲コレクション
館野泉が演奏するフィンランドの曲を聴くと、30年前に出合った或るサロンコンサートへ、と私の想いが飛んでいきます。
昔の武蔵野の面影を残す林のそば、30人程の聴衆を集めて、会員制のコンサートが催されていました。街の電柱に張ってあったチラシを見て私はそこへ出かけて行ったのです。
ある時、そこでフィンランドから帰省していた館野泉が弾くシベリウスを聴きました。柔らかなタッチの、静けさの中に秘められた情熱をたたえている演奏で、たちまち聴衆の心をつかまえました。私も館野泉のレコードを買い求め、繰り返し聴きました。
2度3度と、帰省の度に館野さんのサロンコンサートが開かれました。
演奏後は、お茶を飲みながらの交歓の時間がありました。ちょっと的はずれの質問などにも、館野さんは穏やかに言葉を選んで話を続けました。とても楽しいひとときでした。館野さん自身も、このサロンコンサートを楽しんで居られたと思います。
ある時のプログラムは、フィンランドのソプラノ歌手とのジョイントコンサートで、あとで 婚約者であることがわかりました。当時、がっかりした女性ファンも多かったようです。
その後、私は東京を離れたので館野さんのコンサートとは縁遠くなりました、が 当時のレコードは今も大切に持っています。けれど、もっと手軽に聴きたくて、この「フィンランド名曲コレクション」を買いました。
ピアノの音は誰が弾いても あまり違わない と思っている人は多いかも知れませんが、館野さんの弾くピアノは、とてもよく歌っていて、つい曲の中に引きこまれてしまいます。初めは、なじみのない曲でも、何回か聴くうちに いつの間にか なつかしい曲になっています。
このCDが、あなたのお気に入りの一枚になると私は確信しています。
THE BEST(7)舘野泉【HQCD】
ピアニスト館野さんの存在を知ったのはNHK・TVを通してでした。その中で館野さんが「左手のピアニストというのではなく、左手のみの演奏だからこそ表現できる演奏がある・・・」ということを淡々と語っておられたのが印象強く心に残ってます。私の目から鱗が落ちた瞬間でもありました。私事で恐縮ですが若い頃からの趣味でクラシックギターをカジッッテきたこともありバッハ「シャコンヌ」は特に関心がありましたが、館野さんのピアノによる「シャコンヌ」を聴いてた瞬間、こんなに味わい深く、訴えてくるシャコンヌは初めてでした。また、アベ・マリア(カッシーニ作曲)はとにかく暖かく、優しく語りかけてくるような演奏に癒されています。仕事柄(牧師)結婚式場の司式もしていますが、その度にこのカッシーニ作曲のアベ・マリアを聞きます。しかし、いわゆる綺麗に人様に聞かせる演奏とか、演奏テクニックが云々・・・という世界とは異なる、素晴らしい演奏です。個人的な感想ですが、乾いた砂に水がしみ込むように、私の心に入ってきた館野さんのアベ・マリアでした。HQCDによるディスクでの発売も「大正解」であったと書き添えておきます。
シベリウス:ピアノ小品集
家族のピアノ演奏曲目の「教科書」として購入.有名な「樅の木」ももちろん収録されている(Spruceというのは本来,トウヒであろう).情感豊かに演奏されている.EMIで発売されたものが,名盤のHQCDシリーズとして廉価で再発.録音は1970年代.東京藝大を主席卒業し,フィンランド在住の長い舘野泉の,気力の充実した壮年期の録音である.シベリウスのピアノ作品というと,一般になじみの少ないものが多いが,日本人が両国の架け橋となってすぐれた音楽活動をしていることは感慨深い.10年前脳卒中で右麻痺を発症,その後,南相馬市民文化会館の名誉館長に就任.南相馬は,地震・津波・原発事故の三重苦の真っ只中.舘野はいま,なにを思っているだろうか.
館野泉 左手のピアノシリーズ 吉松隆/3つの聖歌(ピアノ左手のために)・子守歌・4つの小さな夢の歌(3手連弾のために) (舘野泉左手のピアノ・シリーズ)
調性があってない気がしたので、移調して・・・
それと曲の流れも、ちとつまらなく(だんだん盛り上がってすぐ終わる。)
曲の流れを変えてみたりーーーー、、、、、、、
と遊べるのは吉松さんのアレンジがよかったからですが
せめて、ほんの一音変えたくなる程度にして!!というのが
楽譜を待ち望んでるものの気持ちです☆
それと、有名な曲であればなおさら、主音を拾ってお直した編曲じゃなくて
原曲のパラレルワールドのような、編曲者の音楽をたっぷり盛り込んだ
編曲(変奏曲?)が希望です♪
ひまわりの海
舘野氏と言うとフィンランドなど寒い地方を連想しがちです。
しかし、本書を読むと、舘野氏は南仏のセブラックに惚れこんでおり、
またタンゴなど激しい曲が好きであるなど、
いかに舘野氏が「熱い人」であるかが読みとれます。
本書は各地での演奏旅行のエッセーと
脳溢血で倒れてから復活するまでの道程を綴ったもの
から構成されています。
脳溢血の話を読むと、完璧主義の舘野氏の姿が垣間見られました。
ピアノは両手で弾くものである、というこだわりです。
しかし、舘野氏は両手で弾こうが、片手で弾こうが、
どちらでも美を紡ぎだすことはできるということに
気付きついに左手のピアニストとして復活することになりました。
ところで、バッハ作曲/ブラームス編曲「左手のシャコンヌ」について、
舘野氏が「むき出しの、これ以上は切り詰められない音がそこにあった。
音楽のエッセンスと言ってよいだろう」(229頁)と述べています。
ブラームス・ファンにとって興味深い言葉でした。