ボンヘッファー説教全集〈1〉1925‐1930年
本書は、ディートリヒ・ボンヘッファーが二十歳前後の神学生として、また若き青年牧師として、ベルリン、バルセロナ、米国の各地で語った説教二十九編が集められたものである。以前に出版されたボンヘッファー選集の第八巻『説教』は底本の事情により、1930年以降の説教の収録に限られていた。今回の出版は、底本の改訂によって新たに加わった1930年以前の説教、未邦訳の説教を翻訳し、説教全集として刊行されるものである。この第一巻は収録されている全ての説教が新資料からの初訳である。
本書の説教の中で、特に注目に値する説教を一つ挙げるとするならば、それはバルセロナ時代の第一ヨハネ書2章17節をテキストとした説教であろう。
ボンヘッファーはその説教の中で、「究極以前のもの(die Vorletzten)」と「究極的なもの(die Letzten)」について語っている。初めにボンヘッファーは、世界の無常さについて語り、時間という運命のもとにあって空虚なこの世について語る。時間は死と同様であり、死はこの世にあっては他のすべてのもの、つまり「究極以前のもの」に対して「究極なもの」であると説明するのである。しかし、この死の世界に対してボンヘッファーは「永遠からの徴」としての十字架を対置する。イエス・キリストにおける啓示の奇跡によって永遠への始まりが示される。そのときこの世の究極的なもの、死は、究極以前のものになるとボンヘッファーは力強く語るのである。この「究極以前のもの」と「究極的なもの」についての思想は後に『倫理』(1940年頃執筆。ベートゲによって後に編集。邦訳『現代キリスト教倫理』)の中に展開される彼の特徴的な思想である。その12年前の説教にこの思想の萌芽が見られるのは大変に興味深いことである。
続刊が予定されている全集の中にも多くの初訳の説教があるそうである。続刊が待ち遠しい。