摘録 断腸亭日乗〈下〉 (岩波文庫)
戦中の暗い時世のなかで荷風の反軍国・反官の舌鋒は凄みを増して冴えわたり、挿入される街のうわさや風聞録のたぐいがコメディ・リリーフ的な役割を担い、当世女性流行の服飾や髪型のヘタウマ風スケッチに荷風の視力の確かさが見てとれる。内容的には昭和16年のものがおもしろい。最晩年の荷風はほぼ毎日浅草銀座へ通い続けるが、その行動は八十歳間近の老人とは思えない。ただ、興味関心は薄らいでいくばかりで生活がハンで押したように固定化単純化されていき、内容も無味乾燥となる。最後の年(昭和34年)の日記が無常である。突如体調を壊し、以後、病臥の日々が続く2ヶ月間に日記は次第に短くなり、とうとう月日と天候のみが記されていく。「四月二十九日 祭日 陰」。さながら、ロウソクのともし火がふっと消えていくその瞬間に立ち会ったような感慨深い余韻があとに残る。
草の花―俳風三麗花
それぞれ境遇の異なる3人の若い女性たちが句会で出会い友情を育む。読後のあと味の良い小説です。句会の始まりから終わりまでの描写がとても楽しい。3人のヒロインは医師の卵壽子、若妻ちえ、芸者松太郎でそれぞれの場所で自分らしく生き抜こうとします。年代は昭和初期から終戦直後まで。舞台は東京市から満州へ。次々に登場する脇役は川島芳子、甘粕大尉、満州皇帝溥儀など一癖ある人物ばかり・・・・。壽子を支える東京女子医専同窓会ネットワークの手厚さに感動!それに、松太郎の機転で永井荷風が句会に飛び入りとは!著者の俳句に対する愛情の濃さをしっかりと受け止めました。ご近所の俳句の先生(70代女性)にお勧めしたら「面白いわあ、こんな小説があるなんて!」とお喜びでした。
Jブンガク マンガで読む 英語で味わう 日本の名作12編
マンガと英語で近代文学を覗いてみる本。
明治から昭和初期の12作品が紹介されています。各作品には18ページずつ割かれていて、その18ページが更にいくつかの小部屋に分かれているので、どこからでも読めます。まるであらかじめつまみ食いされる事を想定しているかのよう。気軽に読める本ですね。
マンガと日本語と英語で粗筋が紹介された後、『キャンベル先生のつぶやき』という部屋では原文と英訳文が示されます。日本文学の専門家であるキャンベル先生が、英訳に際して感じたことなども書かれていて、敷居の低い本書の端倪すべからざる一面が垣間見えます。
文学の紹介本としてはかなり異色の一冊かもしれませんが、読み易いです。
図説 永井荷風 (ふくろうの本/日本の文化)
河出書房新社の図説シリーズ最新刊、
カラーページで構成されたいわゆるムック本、
永井荷風の生涯と作品紹介がコンパクトにまとめらたファンには便利な内容、おそらく川本三郎の荷風関連エッセイ本の読者を最大の購買層として編集されたものとおもわれる、
20年以上ロング・セラーを続けている新潮社の文学アルバム・シリーズの永井荷風編を21世紀版として若干グレードアップした印象の好書(もちろん重複する写真も多い)、
眺めることを目的とすれば本書のほうが楽しいが、2冊を比較すればそこにもまた時代のうつりかわりが感じられるところも荷風ファンには得がたい興趣かもしれない、
星四つなのはロング・セラー確実の本なのにじゃっかん高価格の印象を受けたからです、
墨東綺譚 [DVD]
新藤監督の永井荷風への執念は凄まじいものがある。
「『断腸亭日乗』を読む」(岩波現代文庫)という書籍も残している。
本作は『墨東綺譚』を主軸に、『断腸亭日乗』なる永井荷風という作家の創作物のエピソードを交えて、
(これは「日記」ではない。後日世に出ることを前提に書かれた創作物かつ「永井荷風」なる人格すら永井の創作物であろう)
永井の後半生を活写した日本映画の名作である。
その永井の生き方の数少ない理解者であったろう母親を故・杉村春子先生が演ずる。
魔法瓶に入れた資生堂パーラーで買い求めたアイスクリームを息子=荷風と共に食すシーンは、稀代の大女優と津川雅彦の軽妙な気風である。
玉の井という今はなき私娼街でひっそりと糧を得る為に身を鬻ぐ女性役を演ずる墨田ゆきの淫靡さは、それだけで芸術に値する演技であろう。
またその私娼のおかみを演ずる乙羽信子がひそやかに彩りを添える。
そして「永井荷風」なる創作物を、津川雅彦が重厚な演技を魅せる。
実は私も津川というキャスティングには違和感を覚えたが、
永井の紳士面のうちに潜む諧謔趣味と諦念を描きだすに足る俳優が、あの時点、他にいたか?
空襲は「万巻の書物」も「玉の井」をも廃塵と化す。
残るは『断腸亭日乗』原本と鞄に詰め込まれた有価証券(常に現価で数億単位という金融資産を鞄に詰め込み浅草や各所を散策する日常)のみ。
これ以降、永井の諧謔は諧謔ではなく単なる「老い」と化す。
初の「文化勲章」受章という栄典に浴しても、永井の諧謔は老いの進行とともに、諧謔は単なる偏屈に移行していく。
空襲をしぶとく生き延びたらしい、乙羽・墨田コンビは永井と遭遇するシーンがある(これは監督の創作)が、
あの時の謎の「写真売り」=文化勲章受章作家などと気付く訳もなく、過ぎ去っていく挿話は面白い。
偏屈なまでの食生活、そして独居老人としての侘しい最期。
新聞屋が土足で永井の寓居に上がりこみ、その死体にフラッシュを焚く。。。
まさに永井の「諧謔」が極みに達したシーンなのか、それともさすがにここまでは意図してなかったか?
いずれにしても、「原爆」とともに男女の営み、そして永井の生涯は新藤監督が生涯をかけてこだわるテーマである。
本作はその巧みな映像化であり、新藤解釈の永井論の入り口のみならず、永井荷風なる創作物の解釈入門として最適な映画である。