街道をゆく〈26〉嵯峨散歩、仙台・石巻 (朝日文庫)
街道をゆくシリーズは、やはり自分が訪れた土地の巻が楽しい。私にとって本巻がそうだ。嵯峨は関西在住時代に簡単にアクセスでき、何度も訪れた。例えば渡月橋。俗化された観光地の名所の一つにすぎなかったものが、本書に記されている、橋が架けられた由来や先人による工事の苦労を知ると、「願わくば渡月橋の寿命の永からんことを」という気持ちになってこの橋が急に愛おしく感じられるようになるから不思議だ。
仙台に関しては芭蕉のおくのほそ道の旅に触れるいくつかの章が好きだ。中でも芭蕉が多賀城碑に感動して「千載の記念、・・・泪も落るばかり也」と古人の心を思ったのは、私が著者の旅を追体験するのに相似する。芭蕉は仙台の地でこのような名文を残したのだから、松島で句を詠まなかったことを補って余りあると思う。
塩釜神社と御竃神社に私を導いてくれたのも本書のお陰。もっとも、私は御竃神社で竃の中を見せて下さいとお願いする勇気はなかったが。
著者は旅した土地を誉めるばかりではない。産物の豊かな仙台藩が江戸時代に雄飛できなかったこととその理由を指摘するが、これもその土地を愛するが故だろう。
芭蕉紀行文集―付嵯峨日記 (岩波文庫 黄 206-1)
嵐山光三郎『悪党芭蕉』を読み、「笈の小文」が気になって読んだ。
旅人と我名よばれん初しぐれ
芭蕉のこの句に対するイメージは変わった。〈芭蕉〉は〈芭蕉〉としての自分を忘れ、ただの〈旅人〉となろうとしていた、風流の人・風雅の人・風狂の人。そんな漠然としたイメージを抱いていた。でも、……
野ざらしを心に風のしむ身哉
百骸九竅の中に物有。かりに名付て風羅坊といふ。
さらしなの里、おばすて山の月見ん事、しきりにすゝむる秋風の心に吹さはぎて、
などの句や文章は、このイメージを裏書きする。しかし、それだけではなかった。
寒けれど二人寐る夜ぞ頼もしき
風流も、風雅も、風狂も、吹き飛んでしまう、爆弾のような句だ。
霧しぐれ冨士をみぬ日ぞ面白き
など、俗な富士に反感を抱いた太宰を思わせなくもない。
多面体を思わせる、芭蕉の正体は、いったい、どこにあるのか? 芭蕉の魅力に、とりつかれそうだ。