プリンセス・ファーギー:The Dutchess+3~決定盤。(期間限定特別価格)
曲数の多さにもビックリでしたけど、中身も凄かったです(≧∇≦)ノ彡
london bridge 目当てで購入しましたが、全ての曲で全部違うファーギーが出てきて、
違う人が歌ってるみたいにも聞こえたし、今までのイメージと全然違う、バラード調の曲や
ポップス系の曲まで歌いこなしていたし、本当に聞きごたえのある1枚でした★
この1枚はかなりお気に入りですヾ(*^▽^o
トリュフォー作品集 BEST COLLECTION
トリュフォーは音楽の使い方にはかなりこだわりをもっていた。
際立って正統なスコアを書くことで知られるドルリューの音楽が
このCDの多くを占めているが、音楽は映画から独立してはならない
というトリュフォーの考えを感じることはできるだろうか。
個人的に気に入っている「恋のエチュード」からは4曲が収録されたが、
主人公3人が雨よけのために洞窟のなかで「レモン絞り?」をするシーンに
流れた曲が入ってなくて少しがっかり・・・。しかし、メインテーマにあたる
曲はほとんど網羅されているから、トリュフォー映画好きの方にはいいかも。
鴎外の恋人―百二十年後の真実
昭和50年代、ドイツ駐在の二人の商社員が「発見した」エリーゼ・ヴィーゲルトは、金髪の乙女ではなく、ユダヤ系の年上の人妻であった。成瀬正勝の「舞姫論」に始まり、竹盛天雄の「石黒日記解読」から始まった「エリーゼ追跡」は、アサヒテレビ「百年の恋」で意外な展開を見せた。「エリーゼ」は、シュナイダー商会の三十代のユダヤ系の女性だというのである。ベルリンの「鴎外記念館」理事、ベアーテ・ヴェーバー女史は、積極的にこの「人妻説」支持したが、女史の日本での講演は雑誌「鴎外」による熱烈な鴎外マニアの反発もかった。
ベルリンで女史から直接話を伺う機会もあった評者は、千駄木の「鴎外記念館」で「エリーゼ」が鴎外に贈った「モノグラム」を見て、その精緻さと丁寧さに心打たれた。それは、まさしく東洋の若い留学生に憧れ、結婚の約束を信じ、高価な一等切符でかけつけた乙女のものと思われたのである。しかし、どのような研究書を読もうとも、もはや、この謎を解き明かすことは不可能と思われた。
評者の個人的心証で言えば、「エリーゼ」は、鴎外の母、峰子を思わせるような、凛とした、勝ち気な、しっかりものの娘であるはずだった。これは、鴎外がふと漏らした一言を知る家族の手記と、短編「最後の一句」の「いち」という少女の面影と重なるものである。
2000年、法学者、植木哲氏の「新説 鴎外の恋人エリス」(新潮選書)が発表されると、状況は一変した。植木氏は「エリス」を追跡してついに「ルィーゼ・ヴィーゲルト」までたどりついたのである。これは、ベルリンの古い土地登記簿にあたる地道な調査の成果であった。
今野勉氏のこの本は、これらの様々な謎をほぼ解き明かしてくれるように思える。つまり、一定の合理的な解釈と説明を試みられており、基本的にうなずけるものである。また、三十年以上の時間をかけてこの問題をあたためてきた著者の誠実さにも、感動すべきものがある。
しかし、この書物の刊行直後、六草いちか氏により、もう一つの「エリーゼ像」が提示された。六草氏の研究も説得力のあるものであり、何より、15、6歳の「エリーゼ」が現実的なのか、という根本的な問いかけがある。
アマゾンのレビューは、六草いちか氏の研究を画期的と捉えるものが多い。しかし、評者は「ちょっと、待って欲しい」と感じている。特に、「舞姫」と「エリス」の混同は避けなければならない。比較文学論的に言えば、「舞姫」は「貴公子と町娘の悲恋」といったパターンで作られた作品である。「太田豊太郎」も、もちろん「鴎外」ではない。森林太郎本人でなければ分からないことも多く、結論は出せないのである。
ランプ幻想
「最終列車は24時」のようなアップテンポな曲はありません。
本人たちが言っているように、すごくシンプルで、音数も少なく、派手ではなく、
アルバム1枚を通して、ゆったりとした長編小説を読んでいるような雰囲気にさせられます。
映画音楽っぽい、と言ってしまっていいかも知れません。
これまた本人たちが言っているように、
ちょっと視聴したくらいでは良さは分からないでしょう。
しかし、Lampの魅力は確実に詰まったアルバムです。
難解に聴こえるメロディも、コード進行も、
何回か聴くことでじんわりよさが伝わってきます。
彼らにとっては、ひょっとしたらかなり挑戦をした部分もあるかも知れません。
それだけに、ますます次回作が期待されるアルバムでもあります。
今までのLampを知っている人で、ちょっと視聴してみて(?)と思った人にこそ、
購入して2〜3回聞いて欲しいです。絶対よさが分かります。