「グッバイ、レーニン!」オリジナル・サウンドトラック(CCCD)
それは、ヤン・ティルセンの新譜ということで気になってはいたけれどまだ手にしていない時。私は某テレビ番組のBGMにくぎ付けになりました。それは、一度も聴いたことのない曲で、しかも“楽器の演奏だけなのに”、確かにヤン・ティルセンの曲だと直感したのです。そしてすぐに買い求め、見事に的中してしまいました。
“この音は彼でしかあり得ない!”という音なのです…。
『アメリ』で有名になったヤン・ティルセンですが、あの面白く軽妙なアコーディオンの世界とは別に、彼にはとても深遠な感性があります。私はその深遠な感性の方こそ、彼の醍醐味、世界観だと思います。そしてこの作品は、その「深遠」な部分を十二分に見せてくれます。
ヤン・ティルセンは楽器を多様に操り、「一人でオーケストラを演じる男」とも称された人です。この作品の骨はピアノです。ピアノが繊細に大胆に流れてゆく中、その低音に混じりコントラバスが胸の底に響き、突然破裂音のようなトランペットが静寂を切り裂きます。煽情されるようなはっとする音です。それからこもったオーボエやクラリネット等の管楽器も、霧がかったドイツ的なムードを演出します。
でも決して暗くはありません。言うなれば、「一面の霧か靄に一条の光が射す…」といった感じです。悔い改まりたくなるような、心が洗浄されるような音楽です。
最近方々の番組のBGMで聴かれるヤン・ティルセンですが、これは、ステレオの前かヘッドホンで、聴き入るべき音楽だと思います!ただのサントラでは終わりませんよ!
サルバドールの朝 [DVD]
Jウッズのファンなので、ビデオを借りてみたのだが、
はじめてみたとき、実話の重さとラストの切なさに耐え切れなかった。
そして、この映画は、私にとって、「見たいけど最後まで見ることができない」映画となってしまった。
DVDの値段が下がったことにより、10年ぶりにもう一度見る機会を得た。
やっぱり、この話は重いし、ラストは耐え難いほど切ない。
また、未公開映像はさすがに未公開だけのことはある。
平和ボケした日本人を目覚めさせてくれる佳作である。
ジェームズウッズの魅力が満載である。
グッバイ、レーニン! [DVD]
夫が西ドイツに亡命してから東ドイツ&社会主義万歳になった主人公の母親。しかし時代は確実に資本主義の勝利へと進んでいき、愛する我が息子がデモに参加して逮捕されているのを目撃した母親は心臓発作で意識不明に。その間にベルリンの壁は崩壊し、東ドイツは急速に資本主義化しドイツ統一は目前に。意識を取り戻した母親に精神的ショックを与えないため、主人公は以前と変わらぬ東ドイツを母親に見せるべく苦心する……
ベルリンの壁崩壊、ドイツ統一(東ドイツの消滅)、という時代の激変に翻弄されつつも、
家族愛・隣人愛を忘れずに懸命に生きる東ベルリン市民の悲喜交々の姿を感動的に描いた、微笑ましくも切ない作品。
愛する者に残酷な真実を知られないための必死の嘘、というモチーフは、『ライフ・イズ・ビューティフル』にも通じる。
庶民、市井の人々にスポットを当てて、その生活をユーモアとペーソスを交えて描くという作品には、どうにも弱い。
O・ヘンリーの『賢者の贈り物』とか、ビリー・ワイルダーの『アパートの鍵貸します』とかね。
どこにでもいるような、とるにたらない人々への暖かい眼差しというか。
母親に嘘をつき通すのが正しいかどうかは分からない。
しかし、そこに母親への限りない愛情があることだけは確かだ。
社会主義の理想は、そういう庶民の暖かい情に根差していたはずなのに、どこでどう狂ってしまったのか。
主人公と友人が創造した「幻想の東ドイツ」。
これが現実だったら、どんなに素晴らしいだろうと思った。
元宇宙飛行士の演説は、100%嘘なのだが、その奥底に真実が眠っているような気がして、
そこに真実があると信じたくて、胸が詰まる思いだった。
心は物に勝つのだ、と。
グッバイ、レーニン! (竹書房文庫)
私は大学でドイツ語を専攻しており、在学中の1989年9月、
まさに壁の崩壊する直前の東ベルリンにも立ち寄っている。
東に見せつけるために、必要以上に華やかな西ベルリンから
東ベルリンに入ると、全ての物が色褪せていて、
道行く車〈トラバント・・ボディの一部は強化ダンボール!〉の
紫色の排気ガスは目と喉を刺激して
まさしく「東側」に来たことを感じさせた。
街の中心部まで歩いていっても人影がまばらで
商店のショーウインドーにも棚にも商品は少なく
強制両替させられた東ドイツマルクを持て余し
キオスクで新聞を買えば、少し握っていただけで手が真っ黒になった。
カフェで頼んだコーヒーはコーヒーと言える代物ではなく
しかし全ては今では貴重な体験に思える。
そんな懐かしい想い出に浸りながら、
『グッバイ・レーニン』を観て、そして読んだ。
あれから10年以上も経ったからであろう、
よくもここまであの当時を客観的に描写したものだ。
またドイツ人にこれだけ(!)三谷幸喜ばりの
ユーモアセンスがあったことに驚かされた。