水霊 ミズチ [DVD]
本作は一応、ポニキャンやYahooが製作を担当する「ホラー大作」だ。それを若手の山本監督が背負うには相当ムリがあったのではないか?演出力は別に年齢で優劣が決まるものじゃないが、活動写真の世界ではやっぱり「下積み」が必要だ。メイキングを観ると、山本監督はモニターで演出している。スタジオ上がりの監督たちは名だたる先輩にシゴかれるので、役者の横かカメラの傍にいるものだ。それが「今の芝居もカメラもダメ」と遠隔で言われてもなあ、という感じだ。百歩譲って仕上がりが良ければいいが、正直本編は最後まで観るのが大変だった(笑)。編集している時点で監督も「こりゃ支離滅裂だな」というのが分かったのではないか。だからサイドストーリーの「水霊縁起録」が必要になった、ということだろう。意外にもこの100分の出来はいい(笑)。こちらはYahoo動画でのみ公開されたようだが、できればこの作品を観てから本編を観たほうがいいだろう。本編で「?」だったいくつかのシーンの謎は解けます。結局これは黒沢組の快作「回路」をモチーフにしているのだろうが、足元の先にも及ばない。役者陣は井川遥、渡部篤郎、星井七瀬、山崎真美、柳ユーレイら面白い組み合わせなのに、本当にもったいない出来だった。ぜひ中田秀夫監督に撮ってもらいたかったなあ・・・。本編は星1つだが、演技録に2つプラス。
仕掛けられた罪 ミステリー傑作選 (講談社文庫)
このシリーズもこれで既に52冊目になります。
この本のは9作品が収められていますが、時代の変化なのか、所謂「推理小説」らしさの強い作品は、「貧者の軍隊」(石持浅海)「二つの鍵」(三雲岳斗)の2作品です。中でも「二つの鍵」は、ダ・ヴィンチを探偵役に徐々に犯人を絞ってゆくという従来からの形式を採っており、論理的でなかなか楽しめます。
その他の7作品もそれぞれ独特の味があり、大いに楽しめます。引きこもりを扱った「黄昏時に鬼たちは」(山口雅也)は、現代の問題点を良く捉えており、ここまで来てしまったのかという思いもあって、衝撃的な作品でした。
猿猴 (講談社文庫)
『蓬莱洞の研究』など著者の一連の洞窟ものの系譜と、猿田彦伝承にまつわる伝承と民俗学、『聖徳太子訳未来記』に記された予言、ヒロインがずっと聞き続けたシャンバラの声など、さまざまのラインがからみあって、これまでヒトに追い落とされてきた「猿族」のリベンジが・・という、壮大な規模の物語。
登山が趣味であったヒロイン伊佐奈美江は、猿神の禁止した日に、真白山にのぼって吹雪で流産、翌年の同じ日には、仲間と同じ山にのぼって、得体の知れない不気味な猿のミイラを封じた土仏たちのおさめられた洞窟で、突然「猿神」に取り憑かれた男のせいで妊娠……というのが発端です。
生まれた子どもをうばいとった猿女会という教団が暗躍、子どもを取り戻したい奈美江に力を貸す埋蔵金発掘マニアの男たち、そして民俗学に造詣の深い探偵、岩波。彼らに後押しされて、「聖母」奈美江は、神話の地出雲から、孫悟空の故郷中国へ・・・教団は野人と呼ばれる猿人を操り、幻の猿族のシャンバラを探し求め、ついに明かされる謎、そして驚愕のどんでん返し・・・
この著者がもてるかぎりの奇想をすべて繰り出して織り上げた究極のSF叙事詩というべきでしょうか。最後までさきが読めず、どうしても本をおくことができずに読み終えました。一見、小さな家庭の主婦の気まぐれから始まったようなこの物語が、人類史をゆるがす大陰謀へとふくらんでゆく見事さと、著者がこれまで他の小説で十分に培ってきた濃い(ややグロテスクな)人物描写、神話伝承の絡ませかた、洞窟探険の迫力、そうしたディテールのリアリティにも感服しました。
「渾身の」と本の背にありますが、まさに著者にとって渾身の入魂の一作ではないかと思います。
ハナシがちがう! 笑酔亭梅寿謎解噺 (笑酔亭梅寿謎解噺) (集英社文庫)
高校を中退した鶏冠頭のツッパリ少年が、名人と呼ばれる落語家、笑酔亭梅寿に無理矢理弟子入りさせられる場面から物語りは始まる。
その梅寿、六代目笑福亭松鶴師を彷彿とさせる噺家で、とにかく豪放磊落で酒豪と来ている。
主人公はその師匠のもとからいつか逃げ出そうと考えているが、やがて古典落語の面白さに魅かれていく。
そんな中、事件が起こる。
2004年暮れに単行本化された『笑酔亭梅寿謎解噺』が文庫本化されたのが同書。
まったく新しいジャンルの物語なのだが、ミステリー&落語ファンにはぜひお薦めしたい一冊。
七編の短編からなっており「たちぎれ」「らくだ」「平林」「住吉駕籠」と、古典落語の演目が並ぶのも嬉しい。
茶坊主漫遊記 (集英社文庫)
関ヶ原の戦いから十数年。斬首されたはずの名将、石田三成が生きていた、という伝説を、著者流にユーモアとミステリの味付けをくわえて展開した連作です。
水戸黄門を思わせる老僧すがたの三成と、それを守る腐乱坊、また語り部である彦七の三人が、伝説にのっとり、米沢、彦根、備前、天草、そして薩摩へと旅をします。
著者の本領であるユーモアは、それぞれの地方の巧みな方言会話などにあらわれていますが、全体としては「面白うてやがてかなしき」歴史のあれこれの裏エピソードをひろってゆきます。黄門さまと同じように、三成もさまざまの事件を解決し、あるいは真相を見抜きますが、勧善懲悪が成るとは言いがたく、徳川の世もまだおちつかぬなか、あちこちに戦乱の余塵がくすぶり、豊臣方を慕うものもあり、キリシタン弾圧あり、滅びてゆくものたちの哀歌がつづられます。
幕府の密命を帯びて、三成を切るべく、ずっと彼を追ってくる柳生十兵衛がこれにからみ、なんと宮本武蔵もちらりと異相を見せたり。
最初の二話は、軽妙なミステリとしての面が強く、意外な殺人の謎を三成が解き明かしたり、仇討ちの相手を探し出したりしますし、各話も「茶坊主の不信」「茶坊主の童心」など某ミステリのパロディのタイトルになっています。
しかし、天草から薩摩のさいごのエピソードは、ミステリというより、歴史の敗者の最後の心意気というか、史実を踏まえた推量に心を打たれます。
戦いの騒擾とそのあとの余韻。歴史小説としての哀感が胸にひろがる佳作です。