空海の見た風景 - 南五台 観音台 (2)
空海が南五台の観音台に登ったのは、恵果にまみえる直前の805年5月初旬であったろう。一方で唐の偉大なる詩人「白居易」が806年に発表した叙事詩「長恨歌」では、南五台が舞台のモデルとなっていることから、詩人が観音台に登ったのは長恨歌発表前年の805年ではなかったか。観音台に登った詩人は、「登観音台望城」なる七言絶句をよんだ。この詩には「一条星宿五門西」という句がよみ込まれており、天文シミュレーションソフト(ステラナビゲータ)を用いて解析すると、この星宿(星座)は北斗七星で、この時の天空は5月初旬(当時の暦)のものであることが判明した。このことから、空海と白居易は観音台に一緒に登った可能性が導かれる。奇想天外な仮説ではあるが、そのように考えると、それ以降の歴史のつじつまがあう。長安から帰国する途中で、空海は洛陽城の南にある龍門の香山寺を訪れているようだが、この寺は晩年の白居易にとって極めて所縁深い寺である。白居易は空海に龍門を訪れることを推奨したのではなかろうか。 夢枕獏氏は、小説「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」で、空海と白居易との出会いをかいておられるが、現実にもそのような両者の関係はあったのかもしれない。 青龍寺のすぐ近くに居を構えていたことのある白居易は恵果の知己を得ていたであろうから、鎮護国家の聖地である観音台に空海が登ったこと、空海が並々ならぬ人物であることなどが、白居易から恵果に伝えられた可能性がある。長安城鎮護の観音台、しかも恵果にとっても所縁深い観音台に空海が登ったことで、恵果は大きな関心と期待を抱いたに違いない。二人が観音台に登った二、三週間後に、空海は恵果にまみえる。空海が青龍寺の恵果を訪れたとき、「われ先より汝の来るを知り、相待つこと久し、今日まみゆるは、大いに好し ...
あと昨日の夜呟いたNHKの陰陽師のドラマの原作が夢枕獏のだと知って戦慄 そら面白いわ
【定期】読書が好きです。夢枕獏さんの陰陽師が特に好きです。伊坂幸太郎さん、重松清さん、道尾秀介さん、吉本ばななさん、山田詠美さんなど読んでいます。読書好きの方、仲良くしてください( ^ω^ )
@mumin_mie @betty_yuki そうなの、おだーらって結構文化人がおられるのょー。ヨシいっそ、「夢枕獏先生と行く☆おだーらから西へ北へ、金銀ぴよぴよツアー」をひとつw! ドーヨ( ゚∀)(゚∀゚)(∀゚ )ドーヨ
『陰陽師1』岡野玲子、夢枕獏 より
○○である、とか○○であった。という文章を書くときに頭にあるのは夢枕獏
夢枕獏の滝夜叉姫上下あって800Pくらいあるんだけど、4時間くらいで面白くて全部よめた!すごい面白い!日本史も好きで、歴史専攻の勉強してるからかもしれないけど、おもしろー!古典もすきだし、うー、そういう絵かきたい!
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