生きてこそ スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]
前々から名作として知られており名前も知っていて
若かりし頃の「イーサン・ホーク」が出ているのも知っていましたが
なかなか機会にありつけず今まで見ないままでした。
実話だそうです。
「ジョン・マルコビッチ」が実は語り手として登場しています。
飛行機事故のシーンは壮絶です・・・。いろんな悲しみがそこで
まず起こる。その後生き残った人は「助かった」と思ったでしょう。
でもそこからがまた地獄の始まりだった・・・。
生き延びた人はまた違う地獄を味わうので
むしろ「飛行機事故で絶えた方が良かったのではないか・・・」と
考えてしまう人もいたんじゃないかと思います。
こういう映画の場合は必ず自分に置き換えてしまいます。
そしてどう行動を取るだろうと勝手な分析をしてしまいます。
映画で描かれている内容の全てにおいて
正しい判断だったかどうかは人それぞれになるような内容。
まさに「考えさせられる映画」ということでしょう。
映画の中では世間でいう「禁断のシーン」が描かれています。
この映画はそのシーンばかりがフィーチャーされがちですが
作品の肝はまた別のところにあると思います。
生き延びた人の中でもより強く「生きたい」と思った人。
それぞれに色々な想いがありその想いが
団結力、知恵、奇跡を生み出させたのではないでしょうか。
美しすぎる情景の中の出来事ですが、その美しさよりも何よりも
「生きぬいた」という奇跡に人が持つ可能性の未知数を感じました。
名作として語り継がれているだけあり見ごたえアリです。
アライブ-生還者- [DVD]
雪山に墜落した飛行機から、二ヵ月後に奇跡の生還を果たした
30年ほど前に起きた、実在の出来事をもとにしたドキュメンタリー映画です。
実際の遭難者のインタビューと、事のあらましを断片的に描いた再現映像
この二つが絡み合いながら物語りは進みます。
遭難者(生還者と言ったほうがいいのかもしれませんが)
彼らのが語っている場所は、おそらく遭難現場です。
遭難現場を訪れ、そこで、生還者同士、あるいは生還者の子供たち、
さまざまな相手へ語っている姿を、カメラが収めています。
ただあくまでドキュメンタリーですので、映画的な演出は皆無で、
事実のみが、時系列に沿って淡々と語られていきます。
出来事自体は知っていましたし、雪山でなにがあったのかも知っていました。
ですがそのことについて、実際の生存者が自分の口で語るのを聞いたとき、
そのあまりの重さに、釘付けとなりました。
文字で見ただけの知識と、生存者から語られる言葉とでは、
重みがあまりにも違いすぎます。
一番印象に残った部分を言葉にして、タイトルを書こうと思いました。
しかし、言葉がありません。
面白いとか、すばらしいとか、感動的であるとか、衝撃的であるとか、
そのような形容詞を用いる事自体が、失礼であると感じました。
とにかく見たままを受け入れ、そしておのおのが感じ取って欲しい。
そうとしか、書けません。
生存者や救助者たちの語る言葉の端々から垣間見える表情、
特にあの目、彼らの眼差しが心に焼きついて離れません。
目は口ほどにものを言うといいますが、
まさにその言葉とおりのものが、この映画にはあります。
かれらは多くのことを言葉で語っていますが、
語りきれないさまざまな感情や思いが、あの眼差しに現れていたように思えます。
ラストで、生存者と遺族のご子息が遭難現場で語り合うシーンがあるのですが、
その場での遺族の言葉には、涙がでました。
事件の当事者でなくとも、胸を突く言葉です。
そして、エンドロールへとブラックアウトする直前、まさにラストですが、
生存者のひとりが、30年前の遭難現場で、そこの雪を食みながら、
とつとつとこれまでの思いを吐露します。
その姿、その言葉が、見終わった後もずっと胸に残っています。
静かな余韻が残る、良質のドキュメンタリーだと思います。
ウィスキー [DVD]
Wパブロ監督が、「観客に色々と想像させることが映画の役割」と言っているくらいだから、
まさにラストシーンはそのような終わり方になっている。まず何故ゆえにハコボはマルタに
妻役になってもらったのであろうか?またそのように弟に偽る必然性があったのだろうか?
これはある程度答えが用意されている。母親の看病をマルタが手伝っていたのではないか?
ところが、ラストは皆目見当がつかない。これは上記は答えが用意されていたが、その後は
まったく作者も答えを用意していないからであろう。(こういう時、責任者出て来いこい!
という漫才が昔あった。)私は単に「普通に戻った」と思えた。皆さんは如何でしょうか?
それにしても東京映画祭に出展される見ず知らずの国の映画は、なかなかのもので侮れない。
生みの苦しみがあった映画祭であるが、知らない国の知らない映画を知るという定位置を
年々獲得しつつある。ミニシアターを潤し、私たち自身の知識や興味を広げてくれている。