スカー・ティッシュ―アンソニー・キーディス自伝
レッチリのような世界的売上を叩き出すモンスター・バンドを創りあげたフロントマンの中で、いわゆる「汚いこと」(ドラッグなんかじゃないですよ)を避けて、聖人君主な人生を歩めた人間はいまい。
日本にも、ポップスをかき消すほど売れた「ロックスター」はいっぱいいる。
ボ○イ、Xジャ○ン、イエロー○ンキー、エレ○シ。
しかし、そういうバンドのフロントマンの中で、こういう自伝を書ける人間はいないし、見たこともない。印税だけに完結しているものしかなかった。
アンソニーは意外にもかなり誠実だった。人生の陰も陽も、まさに赤裸々にここに書き記している。
内容がそういうことになっているので、もちろん「他人への配慮」なんてものは希薄だ。そして、自分への配慮も希薄。
アンソニーは、芯の通っている人間だし、そういう芯があるから、「バカなこと」やっても「悪どいこと」やっても「汚いこと」やっても、最後の自分で決めた一線は越えないし、踏みとどまってきたんだろうと思う。
こういう「ロックスターの人生」にも、日本と欧米の差が出てるんだなぁ。キムタクとジョニー・デップの差はでかいよ。
ロンドン・コーリング ザ・ライフ・オブ・ジョー・ストラマー コレクターズBOX (初回限定生産) [DVD]
長い長い映画でした。でも、ジョーについて語り尽きることはないでしょう。クラッシュを壊した挫折感と新しい自分探しの日々、忍耐と苦悩。一緒に「ウエストウェイ トゥー ザ ワールド」を見ました。10代の頃クラッシュと共に過ごしたのに、その後を知りませんでした。解散劇からメンバーが過去のこととして語れるまで長い月日が必要でした。でも、ジョーの混乱は続く。私はジョーの、クラッシュの真摯・誠実さを信じます。今更のことなのに、見て良かったと思います。長いこと私の心にすみ続けていたジョー、胸に引っかかっていたったものが取れました。クラッシュと共に過ごせた日々を誇らしく思えます。
クラッシュは断然後追いで聞いたのだが、10代の頃に買った「ロンドン・コーリング」は今に至るまで愛聴盤になっている。で、先日レンタル店で半額券をもらった折にこのDVDを見つけ、借りて観たところ、もう、たまらない気持ちになった。涙があとからあとから流れてきた。
クラッシュのビートと言葉たちは、衒いもなく真正面から聴き手を揺らす。そんな真っ正直さは、当時においてもさまざまな足払いや足引っ張りを食らったことがわかるし、ジョー・ストラマー個人は小さな頃からトラブルを引き寄せては、トラブルの中をのたうって生き続けたことを教えてくれる。彼の示すメッセージを青臭いと笑い、理想だと嘲り、内容が粗雑だと得意げに指摘しようと思えば、簡単なことかもしれない。でも、自分が痛めつけられるとわかっていても矢面に立ち、傷つくことを選ぶ姿勢は、彼を非難し、嘲笑する人々の何倍もの誠実さ、真剣さ、人としての尊さを感じさせてくれる。それははじめてクラッシュのLPレコードを聴いたときから感じていたが、このフィルムでは多くの人々の言葉や表情で証し立てられている。「お前みたいな知ったかぶりに何ができる、何もできないだろうと誰もが言っていたよ、でも、俺たちのやったことで少しは世の中が動いたじゃないか」というような本人の述懐を聴いていると、言っていることはその通りだし、何よりも、ジョー・ストラマーが生きていた姿、ウディ・ガスリーのヴィジョンを胸に秘め、終わらないトラブルの中でロックしてぼろぼろになり、静溢さに辿り着いて天に昇っていった軌跡を思い出していると、人間をまだ信じられる、信じたい気になる。
クラッシュを聴いて胸が熱くならない男子は信用できないという偏見が自分には消えないが、このDVDはクラッシュのファン、あるいはファンだった人、またはロックを好きな人全てに捧げられたフィルムだと思う。最後に残されたメッセージ、The future is unwritten…未来はまだ書かれていない…は、物語を先取りしがちな今の自分たちに鋭く突き刺さってくる。