いいなづけ 上 (河出文庫)
たしかにイタリア文学では、まず、ダンテとマンゾーニ、という名前がはじめに出されることが多いです。しかしこれは、特に現代イタリア語の成立に注目してなされた発言であるように思います。イタリア語の共通語を設定するさい、ダンテの使ったフィレンツェのイタリア語を共通語にしようという主張がそれなりに強かったのですが、シチリアからヴェネツィアまで個性豊富な都市国家が中世からひしめき合ってきたイタリアで、「なぜ、そろってフィレンツェの言葉を受け入れにゃならんのだ!」みたいな反感はあったわけです。ところが、その反対派の雄である大都市ミラノ出身の作家、このマンゾーニが、フィレンツェの言葉を使ってこの『いいなづけ』を書いたことで、フィレンツェの言葉を共通語とする方向が決定的になりました。イタリアの言語上の分裂が回避され、当時盛り上がっていたイタリア独立統一運動の支えの一つになったわけです。マンゾーニがイタリア「国民」文学の代表者とされるさいには、このような含みがあります。
あとイタリア文学の病苦?の一つに、過去のイタリア文学が偉大すぎた、ということがありました。その結果、ある種の衒学趣味のようなものの支配は色濃く残っていたわけです。よく言えば、華麗な言葉遣いです。いわゆるシェイクスピア、ラシーヌのような新古典主義運動は、残念ながらイタリアでは起きませんでした。ただしガリレオの散文はそれに非常に近いレベルに達しています。そんななかで、マンゾーニのこの『いいなづけ』は、それなりに言葉の洗練もあり誰にでも親しめる面白い近代小説、というそれまでのイタリア文学にはあまり見当たらなかった性格をえることに成功したわけです。それほど教養の高くない「普通の国民」にも楽しめる近代小説なんてそれまでなかったわけです。
他の西欧諸国と違い、イタリア文学は成熟が段違いに早いために、16世紀くらいまでで文学上の傑作が出尽くしてしまったという誤解もありますが、19世紀も、残念ながら邦訳にはまだそれほど恵まれていませんが、レオパルディ、ウーゴ・フォスコロ、ダヌンチオなど、レベルの高い書き手は数多くいます。特に一語、一語に丹精が加えられているレオパルディの詩のすばらしさは、ペトラルカのソネットに肩を並べる水準にあります。
なおこの『いいなづけ』には、すでに他の和訳、岩波文庫の『婚約者』(フェデリコ・バルバロ訳)もあります。読みやすさ分かりやすさには、この岩波文庫訳に一日の長があります。マンゾーニの文体の華麗さをよりよく反映させている点では、この平川訳が秀でています。読む方のお好みで選ばれたらよいと思います。
トリプル押しかけ許嫁 (美少女文庫)
若葉自慰→くらら初V→くららV→若葉公園自慰&初V→理華放尿→理華初V→くららV→理華&若葉πF→理華&若葉×くらら→若葉V→理華V→若葉F
出会いのシーンからして最初で別段落、小説においては文章が命という面でくららと主人公との会話が軽妙かつ珍妙なくららが好きになりました。似たようなキャラでは暁の護衛 プリンシパル・ツキ (二次元ゲーム文庫4)の毒舌メイド、ツキでしょうか。
攻略順としては頭脳と引き換えに成長しない弱い身体をもつくらら、並はずれた集中力と引き換えに使用後、他の感覚が流れ込んでしまう若葉先生、人間離れした加速を得るもののやはり使用後に全身の筋肉が弛緩してしまう理華の順になります。
3人の能力を確実にその孕む子供に伝承できる能力を持つ主人公、反動はないのかというとそんなことはなくて絶倫で何回射精をしても平気な反面、精子数が限られているため『薄い』というのが反動です。このため受精率が低く、早く妊娠して3人の中から抜け出そうと、くららはある一計を案じますが……ってやっぱりヒロイン的にはくららがメインの扱いな気がするんですが欲目でしょうね。
プリンセスXFD ~許嫁は終わらない!?~
前作のFD。
前作が楽しめた人ならそれなりに楽しめます。前作のヒロインとのアフターストーリーだったりifストーリーだったり。
音楽や絵の変化は特に見当たらず。前作よりも一層コメディが要素が強いです。
各話選択形式です。前作同様登場キャラはモンスター娘やロボ(獣娘とかいうレベルではなくガチ。ロボも完全に機械)
マジメに期待すると★1レベルですが、気軽にプレイという点では大丈夫です。ボリュームはFDとしても少なめですが、手軽にプレイがしやすいので私的には適量でした。
らんま1/2 TVシリーズ完全収録版(28) [DVD]
この「乱馬はなびきの許婚!?」は、もう本当に面白くて大満足のストーリーです。話も原作ものだし、作画も安定しているし、何も言うことありません。
原作では色々なキャラクター(シャンプーや九能や右京etc...)が出ていますが、そこをばっさりカットしてます。でも、流れに何ら違和感はなく、テンポも良くて十分楽しめます。
乱馬とあかねのお互いの気持がますます近づくところが素敵だし、最後の絵はらんまシリーズの中で1番だと私は思います。
らんまファンなら絶対絶対見なきゃダメ!!(笑)
R.シュトラウス:ばらの騎士
確かに、この録音を聴けば、エーリッヒ・クラーバーが《ばらの騎士》を得意としたことはよく分かる。全曲を通して速いテンポ、音楽によどみがなく、ウィーン・フィルの表情は豊か。《ばらの騎士》のサウンドとしては申し分ない。この録音が発表された当時、多くのオペラ・ファンが驚喜したことだろう。しかし、ドラマに不可欠な心理描写は、まったくといっていいほど無い。第1幕のマルシャリンは、オックス登場前と後では心理状態が変わるのは何故かを、またオクタヴィアンは第2幕の冒頭、ゾフィーに一目惚れする瞬間、何を感じたのかを、またさらにゾフィーは、オクタヴィアンがマルシャリンの愛人であったことを受け入れなければならないが、その試練をば、エーリッヒ・クライバーの《ばらの騎士》には聴くことはできなかった。まるで長大な交響詩を聴いている感じがする。そして、歌手たちはそれを盛り上げるためだけに歌っているように聞こえる。ただ、第三幕の三重唱・二重唱は美しかった。1954年、DECCAの歴史的録音。